嵐の話
「嵐が活動休止するんだって〜」
は??って思った。バイト中に社員さんに言われてめちゃくちゃ変な声出たわ。
私は正直KAT-TUN以外に追ってないけど、それでも嵐の曲は聴いたりするし番組だって見る。ショックを受けた反面、「ファンの人はもっとショックだろうなぁ」って思った。
家に帰って活動休止の経緯と、これからの活動について少しだけ見た。
5人一緒っていう考えが強いから、"活動休止"になったということも。
ここからは、いちハイフンとしての気持ちを書き連ねます、ごめんなさい。
大野くんが"無責任だ"と記者から言われていたことにとてもモヤモヤした。
何度も何度も話し合いを重ねた結果だと思うし、櫻井くんも言ってたけど、「リミットを提示すること、それに向かってファンの皆さんに感謝を返していくこと」が5人の誠意だ。
途中で抜けてしまうことの方がよっぽど無責任だと、どうしても私は思ってしまう。
「やりたいことがあって」というなら別だけど、田中聖は「契約違反の解雇」、田口淳之介は理由なんて話さなかった。
KAT-TUNのメンバーがいなくなる度に、グループが壊れていくような気がして悲しかったのは事実だし、聖とじゅんのに対しては思うところも今だにたくさんある。じゅんのに関しては嫌悪感さえ抱くときもある。
きっと嵐はそうならないように、休止という形を選んだのだと思う。まぁ個人の勝手な意見ですけど…。
あと私が1つ言いたいことは、
大野くんの人生は誰のものでもない、大野くん自身のものってこと。
じゅんのが脱退したときも、かめちゃんが「田口の人生は、結局田口のものだから。最終的な判断は本人に任せるしかない」って言ってた。私は何も言えなかった。
多くの人から求められるって、一見羨ましいようにも感じられるけど、本当はめちゃくちゃ大変だししんどいんだよね。
普通の生活なんて絶対できない。私達が普段、何気なく街を歩いたり、友達と遊んだり、そんなことですら芸能に身を置いてる人はできない可能性が高いよね。
レッスンや仕事でどれだけの自分の時間を犠牲にしてきたんだろうって考えてしまう。
「グループは、グループに所属することで沢山の恩恵をもらう。だからなにか起きたときには連帯責任。グループに所属する限り、『良い思いだけして、マイナスな面は見てみぬふり』というのは違うと思う。」
これは中丸の言葉。
連帯責任というと聞こえが悪いけど、"5人じゃないなら嵐じゃない"って4人が思った結果こうなったんだよな。
あと私がツイッター見てて思うのは、今回の嵐のことに便乗して
『やっぱり推しは推せるときに推さないと!』
って言ってる人。全員腹パンしに伺いたいです。
『推しは推せるときに推せ』
この言葉何回言ってんだ??SMAPが解散したときも、滝翼が解散したときも、何回も何回も聞いてる。私だってみんなだって本当はもう分かってる。耳タコだって。
『推しがいついなくなるかなんて分からないから推しとけ』っていうのはごもっともだけど、覚悟してても、悔いなく追って推してても、悲しいもんは悲しいんだよ外部は黙っとけ!!!!!!!!(過激)
本当ファンでもない私がごめんなさいね。
きっと最後の日でも、嵐はめちゃくちゃにカッコいいし、それが余計に悲しかったりするんだろうな。アイドルって儚くて切ない。
どうかその日まで、嵐とファンのみんなが素敵な思い出を沢山作れますように。
そしてまたいつか5人揃って、帰ってきてくれますように。
ドリフェス!の話
2016年10月7日23時ころ
私は気付いたらドリフェスのアプリをダウンロードしていた。
元々ドリフェスはツイッターの広告で見たことがあった。なんでそれを覚えてたかって言うと慎様のおかげだった。「及川慎」お!私と名字一緒やんけ!そう、何を隠そう私の本名が及川だった。
声優を見てみると知らない人だった。元々声優に疎かった私。音ゲーは楽しそうだけど声優知らないしな~とインストールしなかった(このときはまだ声を当てているのが、声優ではなく元々は若手俳優だということも知らなかった)。
しばらくして。アニメ、次期は何見ようかな…と一覧を見ていると、ドリフェスの文字。あっ、これ及川くんいるやつじゃん!と私は録画予約をした。
リアタイもした。びっくりした。作画良いけどセリフ棒読みだし…え……イケるっしょって何…
なんて思ってたらライブパートに入った。グローリーストーリー。今まで「うーん…」と思ってたのが一気に覆った。すごい!ライブシーンめちゃくちゃにかっこいい!CG!曲も良い!最高!EDを迎えるころにはアプリをダウンロードしていた。
そっからアニメも見続け、ド!の沼にズブズブハマっていった。きっかけは慎様だったけど、だぶますが推しになってた。詳しくは自重しますが、腐としても美味しい…ゴニョゴニョ
初めてイベントに参加しようと思ったのはたしかファスライだった。ライブ?行きたい!そう思った頃にはReal Dreamを予約してた。
結局ファスライも行脚も外れてしまって行けなかったけど、次ライブするなら絶対行こうって思った。
ファンミやらAGFやらは予定が合わなくて行けなくて、一体いつになったらでぃあどりちゃんに会えるんだろう…なんて思ってたらライブツアー決定!これは行くっしょ!パシフィコチケット取りました。
一般だったから3階席だったけど、そんなこと関係なく楽しかった。正直知らない曲もあった。でも関係なく楽しかった。キラキラ輝く彼らをずっと見ていたくて、この時間が永遠になれば良いのにって何回も思った。
最後のシンアイで泣いて、帰りの電車でも泣いて、帰って家でも泣いた。楽しかったー。ドリフェス好きだーって思った。絶対またライブ行こう。サイコー超えた景色もっと見よう。
そんなことを思っていた矢先に、アプリとDCD、そして3次元での活動も一区切りのお知らせ。頭が真っ白になった。
しばらくは心の整理ができなくて、色んな人のツイートを見て、色んなことを考えた。
なんでって思ったし、自分があまりお金を落とせなかったことも責めたし、でも笑顔で彼らを送り出したいって思ったし(送り出すっていう表現が正しいのか分からないけど)。
何も考えたくないって思いながら1期最後の特番を見てた。シンアイで泣いた。そしたらでぃあどりちゃんが歌うんだ。
「さぁ、一緒に行こうよ。笑って!」
って。
ズルいよ。笑ってなんて無理だよ。
そう思いながら、泣きながら、ドリフェスが自分の中でこんなに大きくなってたんだって気付いた。
「長く続けることだけが、サイコーを超えることだとは言えないのではないか」
そんな誰かの言葉を見て、そうだなぁって思った。彼らは常にサイコー超える景色を見せてくれた。アフレコもどんどん上手くなってたし、歌とダンスもすごかった。
でもそれって際限がなくて、上は果てしなくて、もっともっとパワーアップできる。どれだけ頑張ってもその上がある。それって本当にサイコー超えてるって言えるのかな。
はちゃめちゃに個人的な意見だけど、ドリフェスは一旦幕を閉じることで、永遠に誰かの心に残ることで、サイコー超えようとしてるのかなって。それがサイコー超えるって言えるのかも分からないけど、コンテンツにとってそれが1番なのかなって思う。
かと言ってこのまま諦めたくない。できることを全部したい。全部した上で、それでダメだったら、ありがとうっていう気持ちを沢山込めて、泣きながら、笑顔で、武道館で送り出したい。さよならじゃなくてまたねって言いたい。
だから私はやれること全部やろうと思う。
ドリフェスが大好きだから。